1mmもNBAと関係のないまっくのどっくの話

MacのDockを整理しました。

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この通り。

写真だのメモだのカレンダーだのといったiCloudAppleアプリをGoogleアプリに置き換えて、その他常用WebサービスのリンクをDockに配置した。

理由は、仕事でGoogleツールを中心としてクラウドベースで仕事用PCとiPhoneを連携させて使ってるので、プライベートもそれに合わせたくなったというのがひとつ。もうひとつはiCloud系アプリの使い勝手がどうやらよろしくないとそろそろ気づいたから。ジョブズの死後7年を経てようやく洗脳が溶けてきた。

Gmailより右は全てWebサービス。Dockは、もはやアプリ起動ツールではなくSafariのお気に入りバー状態。オフラインで使えるアプリはほぼ皆無。

電子書籍音楽配信もVODも流行りだしてからはあっという間だったけど、クラウドサービスの普及は自然というか順当すぎて、あまり変化を意識することがなかった気がする。改めてDockのリンクの大群とアプリの少なさを見ると、時代の変化を実感したりする。

アイコンの数を数えてみると、

Google 7個
Amazon 4個
Apple 2個(Finder除く)
・ その他 各1個ずつ(LINE、SpotifyPinterestNetflixNBATwitter、Money Forward、ブクログ

いやー。完全にGoogleAmazonに支配されちゃってるね。というかGAFAの世界だね。Dockに世界が縮小されて図示されてる。おもしろいね。(何のオチもない話)

1mmもNBAと関係のないAIの話

アレン・アイバーソンの話ではありません。人工知能の話です。それも介護業界における人工知能の話。

2018年現在、介護業界にまつわる流行のワードは、世間的なところでいうと「ICT」「介護ロボット」、そして「AI」だろう。一方で業界内はこういった先進的な取り組みについてそこまで盛り上がっていない。なぜか。

要は商売にすぐ取り入れられるほど、そこまで進歩していないということだが、ICTが発展途上ではあるもののアイデアはいろいろと出ているのに対し、AIはまだ実用性が見えて来ない。

AIが活躍する場、それ自体は見えている。ひとつは、介護保険サービスを利用するにあたり必ず必要とされるサービス計画を立てることだ。現在はケアマネジャーが計画を作成しているが、AIが作成するとなればケアマネジャーの人材不足を補えるし、業務のアシストになると考えられる。この計画や構想自体は何年も前からあるのに、パッケージングされたソフトとしてなかなか登場しない。

実は介護保険サービスの業務管理システムとして売られているものの中には、すでに計画書をAIが作成する、あるいは作成を補助するといった仕組みを搭載したものが一応ある。しかしその仕組みは、そのシステムのユーザーが作った計画書の集約をデータベース化し、そこから妥当なものを提案する、といったもので、精度としては非常に低い。うまく提案できて、「それっぽいことを言ってる」程度の内容だ。個別に利用者の身体特性や疾患、価値観、生活状況等を見て計画するものではない。開発会社いわく「今はまだ発展途上だが開発を続ける中で改善していきたい。ただAIというものは改善の速度が読みづらいため、いつまでにどうなると言えるものではない」とのことだった。まあ専門家が言うんだからそうなんだろうと思いつつ、「過去にケアマネジャーが作成した計画をデータベース化する」というそもそものスタンスが不安でならない。

というのもケアマネジャーも玉石混交で、能力や適性にはかなりのバラツキがある。それこそ機械がランダムに作った計画の方がまだまし、というレベルのケアマネジャーもいる。偏差を無視するにしても、ケアマネジャーというのは基本的に医療について無知である。質の高い介護計画を立てようとすれば医療やリハビリの知識が求められることが多いが、専門的な知識を持たないケアマネジャーが立てた計画に医療やリハビリの知見は生かされない。あるいはケアマネジャーはネットで医療情報を調べようとするかもしれない。ネットの不正確な医療情報を鵜呑みにして立てられた計画がAIの学習の参考書になり得るとしたら、非常に危険ではないだろうか。

厚生労働省は要介護認定の際の調査等のデータを蓄積しており、ビッグデータとして活用する準備があるというが、そうした統計からどこまでの情報が得られるのかという疑問がある一方、民間の不安いっぱいな取り組みを任せるまま進行させるより、正しい道筋を示せないものかと思う。

まあディープラーニングがどういうことかすら詳しくわからない程度の理解だから、踏み入ってあれこれとは言えないが、介護分野のぷち専門家として注意を喚起したくなるものである。

ちなみにもうひとつのホットワード、介護ロボットはアホっぽいので特に言及しない。パワードスーツ着て介護ってメジャーリーガー養成ギプスじゃないんだから…。

1mmもNBAと関係のない2025年の話

仕事の話です。備忘録みたいなもんです。

介護ビジネスに関わる仕事を7年くらい続けてきて、今おもに介護事業に関わるコンサルタントとして仕事しながら、感じている違和感がひとつ。というか疑問。

介護って必要悪なんでしょうか。

介護が必要ないよう健康の維持増進に努めましょうとか、介護が必要になっても重度化しないようリハビリしましょうとか、それが今の介護業界のトレンド。介護保険制度の方向性。介護ができる限り不要な状況を作り出そうとしている。介護人材不足や財源不足解消の一手として。

そりゃ高齢者からしても、介護は金がかかるし人の世話になるし、できれば介護を受けず元気で自立していたいと思うだろう。

でも、それって本当なんですかね。それって介護は負担で迷惑なものって刷り込みが前提としてありませんかね。介護の必要性を減らそうという議論が「介護という世話が本来不要である」という方向に向いてませんかね。

考えてみて欲しい。

介護と相対するもうひとつの世話が子育てである。これを不要だと言う者はいない。子が健やかに育ち、学校に通い、そして世に出ていく。そのために子育ては必須だ。親も社会も子に時間や金をかけることを厭わない。子育ての目的は子孫繁栄だけじゃない。子を産み育てることで、小さな社会とも言うべき家庭が築ける。子を中心とした家庭は、家族の絆を産み、夫婦間の距離を縮めるだろう。親は子の生活を支えるため、仕事に励み、前向きに生きる原動力が得られるだろう。

じゃあ介護ってどうなの?介護もわりと同じようなものだと私は思う。介護を通じて家族の絆が深まる、あるいは遠かった距離が縮まるといった側面は必ずある。実体験としても、私の家庭はあまり明るい家庭ではなかったが祖母の介護をきっかけに初めて家族団らんの雰囲気ができた。良き家庭を築くためのエッセンスのひとつが子の世話であれば、老人の世話もまたしかり、ではないだろうか。なぜ介護は必要悪として扱われるのか。

世に言われる介護の問題の根本は、負担の重さとリスクの大きさである。これは子育て問題に通ずる。事情はそう変わらない。若い世帯の家計が貧しいとか、保育所になかなか子を預けられないとか、産休後の復帰が難しいとか。そこで子育てをめぐる議論は、助成を出そうとか保育所を増やそうとか法制度を整えようといった方向に向かうが、介護となると同じ方向性で話はしつつ、本音は「介護を不要なものにしよう」といったところにある。

妙な話ではないだろうか。子育てに関しては「世話が不要になるようにしよう」「自立時期を早めよう」「人の手がかからないよう養育マシンを開発・導入しよう」「外国人労働者に養育させよう」なんて話には基本的にならない。しかし、介護はメインの議論がそれだ。この歪みは何だろう。なぜ人生の最初期における世話は必要善であって、人生の最終期における世話は必要悪なのか。

私はどちらも必要善だと思う。世話をする者や、世話を必要とする者を抱えた周囲にとって、介護はポジティブな影響を与える、いわば善なる行為だと思う。今、介護のトレンドは介護を不要にする自立支援だと言ったが、もうひとつのトレンドは要介護者を社会で支えようというものだ。認知症であっても偏見を持たず、介護が必要であっても差別せず、地域社会の一員として支えていこうという構想がある。果たして可能だろうか。言っていることは「子供を地域皆で育てよう」というのと近い。それすら誰もが同意するわけではないのに、ましてや老人を地域で支えることに誰が共感するだろうか。

しかし、そうやっていかなければ事態は解決しない。というかますます深刻になっていく。なにせ若者は増えていく見込みがないのに、高齢者は今後ずっと増え続ていく。総人口の3人に1人が高齢者になるという2025年は、「2025年問題」として早い時期から将来のテーマとして語られてきたが、気がつけばあと7年である。

そろそろ介護そのものの価値観から見直すべき時期ではないか。

ドラマ「ブレイキング・バッド」とコンプライアンス(1)

最近アメリカのドラマ「ブレイキング・バッド」にハマってる。

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日本のドラマじゃ考えられないほど社会通念上の正しさから逸脱したストーリーで、よくもまあこんなネタが企画として通るなと関心してしまう。アメリカのドラマや映画でクライム・サスペンスっていうと珍しくないけど、「ブレイキング・バッド」は生易しい無法ではなく、最初から最後まで一貫して大罪を犯してる。それでいて主人公は基本的に平凡で、平凡な家庭を築いてて、誕生日パーティーとかそんな風景があって、ってもうね、アンバランスがすごい。

ストーリーはこう。

化学を教える高校教師ウォルターは、夫婦生活の倦怠感や脳性麻痺の息子の将来といった悩みこそあれ、そこそこ幸せに平凡な暮らしを送っていた。しかし自身が末期がんの宣告を受け、状況は一変。残りの人生と、家族のその後を考えたとき、ウォルターの出した答えはドラッグの製造によって一財産を築くことだった。化学者として一介の高校教師に留まらない才能を持つウォルターは純度の高いメタンフェタミンを作り、教え子のジェシーとともにドラッグの市場に分け入ろうとするが…

と、まあこんなお話。犯罪で金儲けに走る物語は珍しくないけど、「ブレイキング・バッド」が何ともユニークで、他の映像作品とのギャップを感じるのはこの続き。

苦労し、挫折し、紆余曲折を経ながらも、ウォルターとジェシーは多額の利益を得ることに成功する。ウォルターにとっては自身が死亡した後も、愛する妻、障害を抱える息子、そして作中に誕生する娘ら家族を養うに十分な額だ。偶然の助けもあってマネーロンダリングも果たせたが、目的を達成したと思いきや、隠れて行なっていたドラッグ製造・売買が妻にバレてしまい、離婚を切り出されてしまう(その前にもいろいろあるけど)。更にジェシーが恋仲になった彼女は薬物中毒で死亡し、ジェシーは心に傷を負い、リハビリ施設に入院することとなる。死亡した彼女の父親は、ショックからか管制官としての職務中、重大なミスを犯し、運行中の飛行機2機を衝突させてしまう。ウォルターの離婚、ジェシーの傷心、凄惨極まりない飛行機事故。これ以外にも、ドラッグを引き金にして起こったトラブルは挙げればキリがない。ウォルターとジェシーは薬物から距離を置き、日常生活に戻ろうとする。が、そうしたところで結局、穏やかな日常は既に失われており、直面する問題は解決しないとみるや、再びドラッグの製造あるいは売買に手を染めることに…

と、まあこんな展開。この辺りでシーズン3序盤までってところかな。書いてて改めて思うけどクレイジーすぎる。不幸が連鎖し、ああ、ドラッグはとんでもない悲劇を生むんだ。諸悪の根源だ。いかに金の卵だろうとこれは撲滅せねば、って思わせるに十分すぎる説得力があった。そして生産から撲滅へ、パラダイムシフトするのかと思いきや、またドラッグを作るんだよね。一旦、主人公は「私は手を引く」って言うし、ジェシーも更生したっぽいことを言うのに、言ったそばから作るし取引するし、ウォルターはジェシーが製法を真似たことで「私の製法をパクるな」って謎のプロ意識を見せるし。そういう話の流れになる?していいの?

思うままに書くとなんかとりとめのない内容になったけど、気になるのは、アメリカの娯楽ドラマ・映画におけるコンプライアンスってどうなってるんでしょうねっていう。ドラッグを取り扱いながら、それを悪しとせず(と読み取れる)。何ならちょっと魅力的にすら見えるタッチで描かれる。これがありなら何がなしなのか。

と、まあそんなことを思いながらアメリカにおける映画の規制、法令遵守などについて調べて書きたいけど、続きはまた今度。

ニックスの勝利とハードボイルドワンダーランド

「勝ったから何だって言うのよ」と彼女は言った。

僕はGABANのブラックペッパーを手に持ったまま彼女を見た。彼女の視線はテーブルの上のMacbookに注がれている。僕は彼女が何を言おうとしているのか、見当もつかなかった。

「よくわからないな」と僕は言った。「勝利は勝利じゃないか。確かに危うい場面もあったし、延長に突入しなきゃ勝てないような試合でもなかった。リーとジャックは外し過ぎたかもしれない。それでも勝ちは勝ちだよ」

「リーとジャックが外すのは構わないわよ。私が言いたいのは、なんで目下再建中の若手集団に、ホームでOTまでもつれ込むのかってこと」

「OTまでもつれても勝ちは勝ちじゃないか。楽しい試合だったし、観ていて何の不満もなかったけどな」と僕は言った。手元には茹で上がったパスタが、GABANのブラックペッパーを振られるのをただ待っている。

「何の不満もない?冗談でしょう。ディフェンスは20年履き続けたパンツみたいにゆるゆるだったわ。オフェンスは単調だし、ポルジンギスが不調だったら目も当てられなかったわ。ビーズリーなんて3Qまではただの給料泥棒じゃない」

「やれやれ」と僕は言った。

「確かにビーズリーはひどかった。それは認めるよ。ただひどいのはビーズリーだけじゃない。君が推していたレイカーズイングラムだってニックスの間諜かと思うくらいシュートを外したじゃないか。むろん、イングラムがニックスのスパイだなんて本気で疑っているわけじゃない。君は、イングラムレイカーズ再建の要だと熱く語っていたよね。今季、イングラムは若干二十歳の選手とは思えない数字を残している。ただ今日はエースの働きは果たせなかった。そういうこともある。誰だってそうさ。戦略と戦術。相性とコンディション。これらが噛み合って初めて結果を出せるんだから」

彼女はキッチン台に置かれたまま熱を失いつつあるパスタを眺めながら、僕の言葉をじっくり咀嚼しているようだった。

「やたらと長文を書いたわりに、まるで内容がないのね」と彼女は呆れたように言った。

確かに、と僕は思った。

だらだら観戦記録

久しぶりにニックス観戦。現地12/6のグリズリーズ@ニックス。ハーダウェイoutでランスがスターターSF起用。リーSG。ラインナップの変更に注目しながら試合を観てみた。

 

①スターター(PGジャック、SGリー、SFランス、PFポル、Cカンター)

試合開始。ニックスのパスがスムーズに回る。グリズリーズのディフェンスは特にタイトじゃない。練習で繰り返してるであろう動きから確実に点を取っていくニックス。ポルジンギスのジャンプシュートに始まり、カンターのオフェンス・リバウンド、ランスのルーズボール飛び込みと持ち味が出た1Q序盤。

ディフェンスに関しては終始安定してた。3Pがそれほど得意じゃないチームはニックスにとって守りやすい。それはグリズリーズにとっても同じだったと思う。強みはインサイド。エースはビッグマン。同じ強みと弱みを持つ相手にどう戦うか。ここの判断が勝負の分かれ目になるかんじ。

しばらくの間点差はつかず、試合が動き出したのはメンバー変更後。

 

セカンドユニット+ポルジンギス(PGニリキナ、SGドットソン、SFマクダーモット、PFポル、Cオクイン)

1Q残り5分〜4分、ニリキナ、オクインがイン。スターターはポルのみ残る。しかしニリキナのトラベリングにオクインのパスミスと、2連続TOからグリズリーズにリードを許す。ニリキナはパスファーストのPGだけど、パスが通らなければ「 無 」なので、周りがオフボールで止まってしまうと辛い。その後、ポルのポストプレイをセットするが、ストロングポイントとして残したエースがミスマッチのディフェンダー相手に攻められないという誤算。シュートを外す、リバウンドを取られる、トランジションでやられる展開がいくつか続き、気がつけば1Q残り1分で12点差をつけられる。

 

セカンドユニット+リー(PGニリキナ、SGリー、SFマクダーモット、PFビーズリー、Cオクイン)

さて、1Q残り1分を切ってビーズリー登場。「ポストプレイが駄目ならアイソで攻めればいいじゃない」とばかりに小気味よく得点していく。去年まではアイソが優先的なオプションだったけど、今年はエースのポストプレイが駄目だったときの救済措置。6thマンのアイソって便利だ。更に1Q終了間際からドットソンに代わってリーがイン。攻めっ気のある姿勢で得点チャンスを作り出す。ある程度個人で打開できる2人がセカンドユニットに加わったことでやや流れが変わる。

セット・オフェンスは微妙だけどトランジションは得意なセカンドユニット。グリズリーズがメンバーを落としてきたあたりでディフェンスで優位に立ち、トランジションから徐々に点差を縮める。ビーズリーがマッチアップするハリソンに得点力がないのはニックスにとっては好都合。が、ガソルがコートに戻ってくると追い上げペースが鈍化。平衡状態が続く。

 

④スターター(PGジャック、SGリー、SFランス、PFポル、Cカンター)

2Q残り7分切ってスターターに戻す。ここでまたやや停滞。1Qペリメーターからイージーにシュートを打てたポルにパスが入らない。ディフェンスを締めてきたグリズリーズ。明らかにファウル覚悟でタイトについてくる。スペースがないからカンターも不自由…。ただグリズリーズも何かと微妙なので、点差は溶けて同点で2Q終了。

そして後半。開始直後のオフェンスでポルが3Pを決めてスタート。以降もポルは外で待つかガードのプレイヤー同様にカットするなどしてオフェンスに加わる。ポストプレイもするけど、ポストプレイとそれ以外で、プライマリーとセカンダリーを入れ替えたかんじ。これが功を奏して勢いはニックスに。逆にガソルのポストプレイ中心のオフェンスを継続したグリズリーズは停滞期に突入。で、ほとんどこのときの勢いの差そのままに勝敗まで決着した。(だんだん文章を書くのが面倒になってきた。)

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と、まあ選手起用およびラインナップと戦術がそのまま結果に現れたような試合だった。お互いに得意分野と苦手分野が似てるけど、ニックスはそこを踏まえた戦術っていう点で先手を取れたのが大きかったね。

 

何にせよ、ハーダウェイJrが休みで、カンターとポルジンギスが目立つ活躍をせずとも勝てたのはとても大きい。エースはポルだ!と思いきやハーダウェイがエース級の活躍をし初め、と思いきやカンターが抜けると駄目で復帰すると好調で、と思いきや彼ら3人がパッとしなくても勝てるんだから幅というか対応力というかがなかなか高いと思う。今後上向くか落っこちるか期待と不安は五分五分くらいだけど、わずかに期待の方へ針が触れた試合だった。

エルナンゴメスの話

現地11/24のATL戦は1Qで15点のリードを奪いながら敗北。

カンター欠場で18分のプレイタイムを得たエルナンゴメスは6得点/7リバウンドの±が-10だった。数字だけ見ればそれほど悪くないかもしれないけどプレイ内容は雑。スペーシングの悪いポジション取りにかからないピック、かたちだけのロールと、戦略性に欠ける動きを繰り返した。ディフェンスにおいてもヘッジやヘルプが一歩遅く、ヘルプのカバーとなるともう右往左往…。

んー。いやー。厳しいね。期待の若手だけど悪い面ばかりが浮かび上がる。これまで十分な出場時間がない中でやりにくさがあるかと思ってたけど、今は試合勘が鈍った(レベルが落ちた)のかと思ってしまう。無論好意的に見るならという話で、悲観的に言えば伸び代は少なく放出候補にすらなるかも。溢れんばかりの才能がありながら、外から打てないとかディフェンスが悪いとかチームの戦略に沿わないとかで干されたシクサーズのオカフォーの例もあるしね。

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そんなエルナンゴメスだけどしなやかなムーブと体幹の強さはやっぱり魅力。それに加え、何となくあどけなさを感じさせる表情もファンを引きつける要素である。チームとしても何とか彼を活かして欲しいし、カーメロをして「マルク・ガソルを思わせる」と言わしめたセンスを発揮できたらな。

ところでエルナンゴメスの本名はギレルモ・グスタボ・エルナンゴメス・ヘルレルという。お父さんの姓がエルナンゴメス、お母さんの姓がヘルレル。

スペイン人の名前は「本人の名前」+「父方の姓」+「母方の姓」で構成される。ピカソはパブロなんちゃらという長ったらしい名前に+父方の「ルイス」+母方の「ピカソ」という姓がくっついたのが本名で、一般的には父方の姓を省いた「パブロ・ピカソ」というネームが知られる。エルナンゴメスの場合は母方の姓を省略してる。

それがなんでウィリーなんだろうか。ギレルモとかグスタボの方が強そうな気がする。ギレルモ・エルナンゴメス。ギレルモ。ゆるキャラには絶対つけられない名前だ。シュートが決まったときのアナウンスで「ギーーーーレルモーーーーー!!」とか、レルモの巻き舌加減がいい感じっぽくない?ギレルモといえばデル・トロ。「パシフィック・リム」の続編は来年らしい。

あとしつこく言うと鬱陶しいからこっそり言うんだけど、エルナンゴメスを「ヘルナンゴメス」と発音されるとすっごく気になる。スペイン語っていうかラテン語系のhは基本的に発音しないから。英語読みでいいじゃんっていう人は、じゃあHERMESをヘルメスって読むのかっていう。すごく読みにくい固有名詞を現地読みするのはとーぜんのローカライズとしても、楽にどちらとも読めるならオリジナルを尊重しようよ。

ともかく今日の試合は残念だった。エルナンゴメスももうちょっとがんばろうね。23歳で若い若いここからどうにでもなると言ってるうちにどうにもならない年齢になるよ。

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(遠い目)

草草