ドラマ「ブレイキング・バッド」とコンプライアンス(1)

最近アメリカのドラマ「ブレイキング・バッド」にハマってる。

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日本のドラマじゃ考えられないほど社会通念上の正しさから逸脱したストーリーで、よくもまあこんなネタが企画として通るなと関心してしまう。アメリカのドラマや映画でクライム・サスペンスっていうと珍しくないけど、「ブレイキング・バッド」は生易しい無法ではなく、最初から最後まで一貫して大罪を犯してる。それでいて主人公は基本的に平凡で、平凡な家庭を築いてて、誕生日パーティーとかそんな風景があって、ってもうね、アンバランスがすごい。

ストーリーはこう。

化学を教える高校教師ウォルターは、夫婦生活の倦怠感や脳性麻痺の息子の将来といった悩みこそあれ、そこそこ幸せに平凡な暮らしを送っていた。しかし自身が末期がんの宣告を受け、状況は一変。残りの人生と、家族のその後を考えたとき、ウォルターの出した答えはドラッグの製造によって一財産を築くことだった。化学者として一介の高校教師に留まらない才能を持つウォルターは純度の高いメタンフェタミンを作り、教え子のジェシーとともにドラッグの市場に分け入ろうとするが…

と、まあこんなお話。犯罪で金儲けに走る物語は珍しくないけど、「ブレイキング・バッド」が何ともユニークで、他の映像作品とのギャップを感じるのはこの続き。

苦労し、挫折し、紆余曲折を経ながらも、ウォルターとジェシーは多額の利益を得ることに成功する。ウォルターにとっては自身が死亡した後も、愛する妻、障害を抱える息子、そして作中に誕生する娘ら家族を養うに十分な額だ。偶然の助けもあってマネーロンダリングも果たせたが、目的を達成したと思いきや、隠れて行なっていたドラッグ製造・売買が妻にバレてしまい、離婚を切り出されてしまう(その前にもいろいろあるけど)。更にジェシーが恋仲になった彼女は薬物中毒で死亡し、ジェシーは心に傷を負い、リハビリ施設に入院することとなる。死亡した彼女の父親は、ショックからか管制官としての職務中、重大なミスを犯し、運行中の飛行機2機を衝突させてしまう。ウォルターの離婚、ジェシーの傷心、凄惨極まりない飛行機事故。これ以外にも、ドラッグを引き金にして起こったトラブルは挙げればキリがない。ウォルターとジェシーは薬物から距離を置き、日常生活に戻ろうとする。が、そうしたところで結局、穏やかな日常は既に失われており、直面する問題は解決しないとみるや、再びドラッグの製造あるいは売買に手を染めることに…

と、まあこんな展開。この辺りでシーズン3序盤までってところかな。書いてて改めて思うけどクレイジーすぎる。不幸が連鎖し、ああ、ドラッグはとんでもない悲劇を生むんだ。諸悪の根源だ。いかに金の卵だろうとこれは撲滅せねば、って思わせるに十分すぎる説得力があった。そして生産から撲滅へ、パラダイムシフトするのかと思いきや、またドラッグを作るんだよね。一旦、主人公は「私は手を引く」って言うし、ジェシーも更生したっぽいことを言うのに、言ったそばから作るし取引するし、ウォルターはジェシーが製法を真似たことで「私の製法をパクるな」って謎のプロ意識を見せるし。そういう話の流れになる?していいの?

思うままに書くとなんかとりとめのない内容になったけど、気になるのは、アメリカの娯楽ドラマ・映画におけるコンプライアンスってどうなってるんでしょうねっていう。ドラッグを取り扱いながら、それを悪しとせず(と読み取れる)。何ならちょっと魅力的にすら見えるタッチで描かれる。これがありなら何がなしなのか。

と、まあそんなことを思いながらアメリカにおける映画の規制、法令遵守などについて調べて書きたいけど、続きはまた今度。